増上寺 その1
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まだ、寒さの残る2月 探索会は 都心のど真ん中、増上寺となった。
増上寺は、家康が江戸城の鬼門にあたる西南方向に守りの寺として建立したといわれている。
この増上寺が江戸にひそかに侵入してくるどんな魔物を防いだかは興味あるところだが、本日はそうではなく、増上寺の奥にある梅林と富士見の山を歩こうというわけである。
富士見の山は、江戸時代の富士信仰で富士詣でが流行ったころに、富士までいけないけど、富士山の御利益だけは欲しいという江戸庶民が、各所に小さな富士山をつくり、お参りをした。その名残であるが、今でも都内似たくさんの残っている。浅草下谷や新宿の戸山ハイツあたりなどにある。今は山はないけれど、富士詣りの山として、神社の片隅に残っているところもある。(鉄砲洲神社にもあった)

とにかく、増上寺の前は時々通るけれども、中を見るのは初めてである。
ここは、地元のTさんに案内を願うことになった。
増上寺は神社なのか、お寺なのかよく分からない。そういえば、その世俗的なところは、善光寺に似ている。
門には、魚市場から奉納された葵のご紋つきの青銅製の灯籠が飾ってあった。サカナのデザインがかわいらしい。江戸時代のものだろうか?


中に入ると 木陰に阿波丸遭難の碑が建っていた。
確か、阿波丸は台湾海峡でアメリカ軍により撃沈された民間の船だという記憶はかすかにあった。
年を取ったせいか、この碑文を読むと、戦争の間で死んだ民間人の(遺族の)怒りをどこへ持っていいのやら、と思ってしまう。


筆塚もあった。「心と創造」と立派な字でかいてある。平凡だが漢字とひらがながバランスよく書かれている。
書道や習字で使った筆を奉納した塚らしい。
今でも書道家たちが集まって、使い終わった筆を奉納しているのだろうか?

鐘楼