日本に統一国家ができあがったのが
6世紀後半から7世紀にかけてだという。645年 大化の改新の後すぐに、649年頃、
駅家(うまや)の制度を全国に作れという詔勅がだされ、
全国に駅家の制度が作られたらしい。
駅家だけをつくったのではなく、全国に道路網をつくったということである。
その道路は、幅が12メートルの立派な直線道路で、南は鹿児島から北は宮城まで、6300キロに及んでいる。
この辺りの詳しい話は 「古代の道」 武部健一著にあるが、どう見たって、その時の国の中心が奈良だったのだから、奈良に道の始まりがあったはずだ。では、その道とはどんな道だったのか?
友人のTが自分のふるさとの天理市朝和村に戻っているという。
僕は、奈良を殆ど知らず、天理というと奈良ではないと思っていた。 久しぶりに会ったのできいてみると、 天理は奈良のど真ん中で、特に明日香、藤原京に近いという。
暇ができたらいってみようなんて思っていたら、いつまでもいけないので、 2007年5月12と13日 明日香村及び藤原京の周辺を歩くことになった。
そこで彼の家に泊めてもらい、自転車で行くことになった。
体は運動不足でがたがた、実際にいけるかどうか、最初から不安な出発であった。
大官大寺跡、百済大寺→高市大寺から移転してここに建てられた(677)。移築なのか新築なのか定かではない。711年火災で焼失と言う記事もある。いずれにしても、奈良遷都にともなって、奈良に移転し、大安寺となった。 九重の塔をもち、敷地も東大寺創建当時の広さに匹敵する。仏教を教え伝える国の大寺院であったという。