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広島県福山駅前の南口には
五浦釣人(いづらちょうじん)という銅像があった。
福山駅のシンボルは、何か昔話に由来する 五浦釣人という釣り竿をもった老人かと思ったが
そうではなく、高村光太郎とならぶ明治の彫刻家平櫛田中が
新幹線の開通を記念してつくったものだという
不明にして彫刻家の名前を初めて知る
駅前で昼食をとり、
バスで鞆の浦に向かう
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バスに降りて鞆のホテルに向かう
終点の鞆の浦港のの一つ手前の
鞆の浦で下車
鞆の浦の道標
荷物を押して 今日の宿泊地である
鞆シーサイドホテルへ向かう
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海岸沿いにはいけないので古い商家のある
狭石い畳み通りをとおって向かう。
観光客向けの喫茶店やスパゲッティ屋さんなどがある
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奈良時代からの波止場の一角
常夜灯のある波止場はほんの短い一角だった
常夜灯を撮っていると
ベンチに座っていたおばあさんが
午後は日の周りがよくないので午前中がよいと教えてくれる
ほら、記念写真をとらなきゃ
といわれて記念写真を撮る
記念写真を撮るなら、もっと離れて立たないとダメとかいう。
午後はお日様の角度が悪いね という
いや、おどろいた プロ並みだ |

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常夜灯と雁木
雁木を撮っているときに、この雁木は昔のままかと聞いたら、
昭和30年頃、台風で壊れて作り直したものだという、
今の雁木の幅は 25センチくらいで狭いけど、
昔は 幅が30センチから40センチくらいともっと広かったという。
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鞆生まれのおばあちゃん(左)
このおばあちゃんは80才 とてもお若いというと昔のことも話してくれた
鞆生まれで、昭和の初め頃、この海で泳いでいたという
漁師と結婚し、自分は魚を売っていたという
そのころは、帆掛け船?
と聞くと いや機帆船だよという元気な返事が返ってくる
機帆船がよく出入りして、荷物の積み卸しをしていたという。
雁木の周りには倉庫があって、
卸した荷物はみなその倉庫に収めていたという。
昭和30年代まで使われていた雁木と倉庫
家の名前を彫り込んだ船止め石
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