2010年5月21日(金)

日本最古?の港、鞆の浦へ

 

 

広島県福山駅前の南口には
五浦釣人(いづらちょうじん)という銅像があった。
福山駅のシンボルは、何か昔話に由来する 五浦釣人という釣り竿をもった老人かと思ったが
そうではなく、高村光太郎とならぶ明治の彫刻家平櫛田中が
新幹線の開通を記念してつくったものだという
不明にして彫刻家の名前を初めて知る
駅前で昼食をとり、
バスで鞆の浦に向かう

 

 

バスに降りて鞆のホテルに向かう
終点の鞆の浦港のの一つ手前の
鞆の浦で下車

鞆の浦の道標
荷物を押して 今日の宿泊地である
鞆シーサイドホテルへ向かう

 

 

海岸沿いにはいけないので古い商家のある 狭石い畳み通りをとおって向かう。

観光客向けの喫茶店やスパゲッティ屋さんなどがある

石畳の道沿いのしゃれた喫茶店

 

 

奈良時代からの波止場の一角
常夜灯のある波止場はほんの短い一角だった

常夜灯 全景
金比羅大権現と書かれた石額

 

常夜灯を撮っていると
ベンチに座っていたおばあさんが
午後は日の周りがよくないので午前中がよいと教えてくれる
ほら、記念写真をとらなきゃ
といわれて記念写真を撮る
記念写真を撮るなら、もっと離れて立たないとダメとかいう。
午後はお日様の角度が悪いね という
いや、おどろいた プロ並みだ

 

 

常夜灯と雁木
雁木を撮っているときに、この雁木は昔のままかと聞いたら、
昭和30年頃、台風で壊れて作り直したものだという、
今の雁木の幅は 25センチくらいで狭いけど、
昔は 幅が30センチから40センチくらいともっと広かったという。

 

 

 


鞆生まれのおばあちゃん(左)
このおばあちゃんは80才 とてもお若いというと昔のことも話してくれた
鞆生まれで、昭和の初め頃、この海で泳いでいたという
漁師と結婚し、自分は魚を売っていたという

そのころは、帆掛け船?
と聞くと いや機帆船だよという元気な返事が返ってくる
機帆船がよく出入りして、荷物の積み卸しをしていたという。
雁木の周りには倉庫があって、
卸した荷物はみなその倉庫に収めていたという。

昭和30年代まで使われていた雁木と倉庫
家の名前を彫り込んだ船止め石


 

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