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明治丸 その4

このあと、近くに資料館があるがそれも見るかと言うので案内してもらう。

船の科学館で見た三菱重工が開発したターボ付きディーゼルエンジンの模型もあった。
このエンジンができるまで日本の船は全て外国製のエンジンを積んでいたということだ。
さすが三菱だが今はこのような重厚長大な技術開発への投資が難しくなっているのではないかと思う。IHIも事情は同じだろう。
(K記)

ここでの発見は、佃の渡しでも使われていたポンポン船のエンジン、焼き玉エンジンが日本の発明であること。

そして、蒸気機関としては、レシプロよりもタービン形式のものの方が古かったことである。

 

 

途中「アンカサス」という植物が植えたあった。
これは、ギリシャ時代から地中海地方で生えていた植物で、その葉の形が船の装飾に使われたものだそうだ。

<海の日の記念日は何を根拠に決められたのか>

ボランティアで説明してくれた先生がいうには、今定められている海の日記念日は、明治9年、明治天皇が7月20日にこの明治丸にのって、函館から横浜港に寄港した日に因んで付けたのだそうである。
これは大問題である。青森市の青森港のそばの公園には海の日記念日発祥の地という大きな碑がある。海の日発祥の地として撮影にいったのでこれまで、青森港を出港したのが、7月20日とばかり思いこんでいた。
青森か、横浜かどちらが正しいか、なんて思いこんでネットを調べたら、この疑問は氷解。
つまり、明治9年の7月16日に青森港ヲ出港し、函館によって、横浜港に寄港したのが7月20日だった。
先生の方が正しかった。こちらの勘違い。
それにしても、人を混乱させる青森の記念碑だ。(下記URL参照)
http://www.pa.thr.mlit.go.jp/aomori/04minato/04_04watch.html

結局、先生の説明が1時間以上、
昼食をとる時間もなく、見学が終わったのは3時ごろだった。
それから門前仲町に行った。
昼食には遅すぎるし、夕食には早すぎる。
ジンギスカン鍋屋で羊の肉を食べてビールを飲んだ。店を出るまで客は3人だけだった。

今日は、いろいろと発見することが多かった。

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