丸山変電所でちょっと休憩。
地べたに座り込んでコッフェルでお湯を沸かして
飲んだ紅茶はうまかった。

ちょっと、ロフト風な背景で記念写真。

40数年ぶりで出会った4人の変な産業遺跡めぐり
記憶の底をまさぐりながら、果たしてこの4人は本当に友達だったのか。逆にこれまでの人生の記憶をもったまま、40数年前に戻ってしまったのか。
どちらかともいえない変な感じである。


この横川ー軽井沢間が電化したのは、鉄道が開通して15年後の、明治41年だったか。
スイスの会社から市電のような電車を輸入してはじまった。このころ、山手線は電化していたかどうか?日本で初めての本格的な鉄道の電化である。
たった、12キロの電化のために、横川に石炭発電所をつくり、交流で丸山変電所まで送り、ここで直流にして、電車におくっていた。
しかし、7パーミルの急勾配をのぼるには、発電所から送って来る電力だけでは足りずに、ここでなまり蓄電器室をつくって、電気をため、電車が急勾配になると、貯めた電気を頑張れと電車に送っていたのだそうな。なんとものんびりとした時代だと今では思う。
正確ではないが、当時の電圧は400ボルト。
下りは、回生ブレーキというのを使ってブレーキにしていたそうな。モーターを発電機に使ったわけだが、それでできた電気は抵抗をかまして熱にして捨てていたそうだ。



丸山発電所から横川駅に戻る時に撮影した碓井川の渓谷。

明治の人は、こんなところに鉄道を通そうとしたのだと思うと、やはり、偉いと言うべきか、大胆と言うべきか。


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