ここには、都内のいろいろなところから移築された梅があって、
梅もなかなか安住の地が見いだせず、形見の狭い思いで咲いているのかなと思ったりもする。
それを祈念した「銀世界」という碑。銀世界については失念。
白梅あり、紅梅あり
東京では、ビルの谷間や路地にひっそりとさく白梅の方が好きだ。
「梅一輪 一輪ほどのあたたかさ」 一茶
「白梅に明くる夜ばかりとなりにけり」 蕪村
。
江戸名所図絵にも描かれているのだそうな。
高さ21.5メートル 樹齢はわからなかった。
芝の東照宮とある
江戸の町の様子を記録した本に
「江戸から明治へ」文庫本で8冊という有名な本がある。著者 矢田挿雲。
この本を読むと、芝辺りに大銀杏があったという記載がある。
竹藪のあるお屋敷にあった大銀杏であるとき、大火事があって
辺りが丸焼けになったがこの大銀杏だけ生き残り
江戸湾を行き来する舟からも見えた。
という話であるが、それがこの大銀杏だと思った。
増上寺のあたりに芝の大明神というのがあり、茶屋で賑わっていた。
同じ本にはこんなことも書かれている。
天保7年に、老中の水野から 芝明神境内にある江戸喜三郎座が取り壊された。
文化2年3月(1805)に火消しのめ組と力士の大喧嘩があった
明神茶屋の芸奴に菊本のおはんという茶酌み女がいた 有名だった
寛永の末に 「花の露」という美顔水が売り出された。(日本初)
化粧水のはじまりもここかも。
同じ本の谷中編には 谷中の大明神というのがあり、その門前は賑わっていたが、そこでばくちがあまりに公然と行われていたために、
幕府が 谷中大明神を取りつぶしてしまった という話。
谷中の5重の塔のあった辺りだろうと思われる。
さて、この大銀杏と芝の大明神 私はどうも、増上寺よりもこちらの方が古いのではないかと思う。
芝の大明神が 東照宮と同じではないかもしれないが…。