古代の道 北九州  2007.11.11

板櫃川をみて さらに西へ

板櫃川の橋に到る。
板櫃川は 藤原の広嗣と朝廷の軍が対峙して、問答で藤原の広嗣が敗れ、軍は総崩れとなり 藤原広嗣が敗退してしまった場所である。(740 藤原広嗣の乱)
今は護岸があって狭いが、昔は堤防もなく両岸にヨシが生い茂ってもっとひろかったのだろう。

板櫃橋

道は皿倉山に近づくに従って ゆっくりと右に曲がってゆく。

大倉川は昔、豊前と筑前の国境があったところである。

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