2010年5月22日(土)

鞆の浦の町中を歩く

 

 

船着き場には、小学生の詠んだ俳句が壁に貼られていた

「鞆の浦 龍馬が歩いた道がある」
他にはこんな句もあった
「歌碑を見る 鞆の昔を感じられ」

 

 

 

大伴旅人の歌碑の上に福善寺というお寺がある
その別院は朝鮮通信使が泊まる部屋になっていた

お寺の入り口
別院の入り口
別院玄関にあった額
朝鮮通信使の本


ここの風景を通信使大変気に入って
対潮楼と名付け、その書も残されている

朝鮮通信使の賛辞「日東第一形勝」

 

 

この対潮楼に靴を脱いであがるとそこは
20畳くらいの大広間で 座って窓越しにみる
海は日本でも絶景の一つといわれている
奧が弁天島、仙酔島、手前が海峡になって船が行き来する風景が一服の画のようにみえる

海峡をいくいろは丸

地球儀もあった 朝鮮通信使が置いていったものだろうか?

 

 

 


座敷の柱に測量用の望遠鏡がくくりつけられている
覗いてみると向かいの弁天島のお堂が見える
いい望遠鏡ですね これドイツ製と受付のおばさんに聞くと
日本製だという。
これは、実は戦前の日本の潜水艦がつけていたものだそうな
これをつくった会社の人がここにきて、
あ、ウチの望遠鏡だといって感激したそうだ
ニコンとかそんな会社というと、おばさんは、いや、もっと小さな会社だといっていた。どこだろう?

(補記)
たまたま、「日本における写真レンズの進歩」という記事があった。
それを読むと、ドイツのレンズ技術を参考にしながら、レンズを開発した会社として 日本光学、六櫻社(小西六の前身?)、小西六、などがあったらしい。ほとんどが兵器開発だったという。
「科学史研究」(VOL.49,No.255,2010年秋号)
 

 

 

今日は帰る日なので見落としのないように、もう一度 常夜灯の所に行く土曜日なので人通りが多い
鞆の浦の古い街並みは、歩いて4,5分以内の狭い範囲に密集している


古い街並みをうろついていると
坂本龍馬が1月ほど滞在していた旅館を発見
玄関のガラスに「旅館いろは」とある(

 

 

 

 


また、古い商家が展示館になっているので覗いてみる
古い船問屋さんで、乾物などを取り扱ったのだろうか

鶴と錨を組み合わせた家紋

入口を入ると 土間の両側に畳の部屋があり、土間は奧に真っすぐ延びている
奧には、勝手口があり、そこを出ると
駐車場とかわや風の公衆トイレがあった


勝手口の左手に蛙の置物のある手洗い鉢
そのそばには、八つ手の木、南天、


それから、もう一本背の高い木があった
この木の名前が分からなかったので聞くと、ダイダイの木だった
なんだ ダイダイらしくない高い木だ
と思ったが、ちゃんと柑橘系の花が咲いている

お店の中仁は大きな天秤秤が置いてある
これで商品を測ったの と聞くと
これは鋳物用の秤だという
鞆には鋳物工場がたくさんあって
鋳物が盛んだったが 今は移転してここにはない
という話だった 

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