古代の道 飛鳥 2007.5.12〜13

仏教伝来の地、海石榴市(つばいし)

 

 

途中天理教の修行堂に出くわす。
地図で見ると 天理教敷島大教会とある。

そして 海石榴市(つばいし)仏教伝来の地にやってきた。
607年に遣隋使として中国に渡った小野妹子が随使 裴世清(はいせいせい)を伴って上陸した地点である。

 

 

ここと飛鳥の宮 (推古天皇の頃は豊浦の宮?)まで随伴したのであろう。国賓級の随使だから最高の待遇をしただろう。ここから、飛鳥までは、山田道として残っているそうだ。

幅10メートル以上の立派な道であったことが想像される。
随使は大阪湾より 大和川に入り、ここまでさかのぼって、船を下り、(途中 難波津あたりで船を乗り換えたのかもしれない)
牛車か、馬にのって、飛鳥へ行列して行ったと考えられる。
山田みちというのがあったらしいがここまで真っ直ぐには来ていない。

今見る大和川の水量があまりに少なく、ここまで船が入ったとがとても想像できない。
昔は水量が多くて、大きな船でもそのままのぼってこられたのだろうか。あるいは、両脇の土手から綱で引張って、ここまで船を運んできたのだろうか?
今みると、その情景は非常に貧相で、日本を代表する国家としての威風堂々たる情景は思い浮かばない。
立派な船着き場があって、その傍には 出迎える館と広場があって、そして 飛鳥の宮へ通じる立派な道路があったはずなのだが、・・・・
と思った。


前頁へ  次頁へ  TOPへ