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途中天理教の修行堂に出くわす。
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そして 海石榴市(つばいし)仏教伝来の地にやってきた。
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ここと飛鳥の宮 (推古天皇の頃は豊浦の宮?)まで随伴したのであろう。国賓級の随使だから最高の待遇をしただろう。ここから、飛鳥までは、山田道として残っているそうだ。幅10メートル以上の立派な道であったことが想像される。
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今見る大和川の水量があまりに少なく、ここまで船が入ったとがとても想像できない。
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