2008年4月19日〜21日

1.阿波の国の南海道
旧吉野川河口から大坂峠越え まで

 

 

いよいよ古道探索である。

吉野川の上陸地点は木津あたりとされている、木津はどこだ?
旧吉野川左岸をさかのぼりながら、その地点を探す。

途中川幅を拡幅中の橋にであう。
石腰(いしこし)橋とある。

橋の上から河口方面をみるが、
ここでも、川幅は結構広い。

橋のたもとのお地蔵さん
なんか古そうな感じがする。

旧吉野川上流をみる

昨日の雨で濁った川に死んだ鮒が浮いていた。

 

 

左岸をみると、背後に山が迫る撫養街道にそって、軒を接するように並ぶ民家は、昔とあまり変わらない感じがする。

古い河港と見なされる地点は、左岸が少し凹んだ形をしているはずだ。
ついに見つけた。

バス停に 「木津」の文字
この辺りが南海道の上陸地点だったのだろうか?
河口より相当内陸に入った地点である。
資料によるとこのあたりに「石隈(いわのくま)駅」があったらしい。

 

 



その先の右岸に、川に出っ張った島がある。
古い観音堂らしい。
厳島神社というらいい。
JRの駅名が金比羅前駅というのは
裏山に金比羅宮があるかららしい。
ひょっとしたら、駅家(うまや)「木津」に至る船着き場のあとではなかったのだろうか?
そんな気もしてくる。

 

 

道は川を離れて、まっすぐに行く。
するといつのまにかT字路にきて行き止まり。

そばの農道をまっすぐに行く
左手にレンゲ畑

少し行くと左手に果樹が植えてある
ブドウ棚だったろうか。
すっかり砂利道の農道になる。

川の土手にぶつかる。左折して 
国道12号をめざす。

狭い橋を渡り、対岸の土手にでて、

やっと国道12号に合流、板野町をめざす。

途中 1番札所の案内にであう。
なんで、ここが1番札所なのか、それは、古道と関連があるのだろうか?

一番札所では途中下車せず、通過。

 

 


板野町に入る。

地理がわからないので
板野町歴史公園にある県立博物館へ行く。

入口にあった太陽の日時
文字盤に描かれた顔が
太陽の神、アポロに見える


館内には、たくさんの展示品があった。
みなこの近辺で発掘されてものだ。
埴輪 つぼ弓矢 ETC 縄文から弥生にかけて、たくさんのものが展示されていた
この辺は豊かだったのだろう。


この板野町を少し南に下ったところで
国司庁跡が発掘された、
そこからでた木簡も展示されていた。
木簡にはいろいろなことが書かれていた。

写真は 
左が勘籍といって、都の役人の戸籍を問い合わせたもの
右が五十戸税といって、近くの里の税を書き記したもの。
奈良時代は五十戸を里としていた。

奈良時代の貨幣もあった。

出土した鉄剣()
勾玉、管玉

当時の竪穴式住居のジオラマとその内部(

弓や農耕具、壺など(
ツボなど
鏃 石を掻いてつくった鏃もあった。

 

 

 


博物館を出て、駅家のあったあたりとされる場所を探しに南に下るが やはりわからない。
旧吉野川もここまでくると狭くなる。

宮川内谷川とある。

このあたり、ずっと南に行くと、
吉野川本流に出会うあたりに、第十堰(だいじゅうせき)がある。
江戸時代に、吉野川本流を築く際に堰をつくり、旧吉野川への分流をさせた越流堰である。
最近、住民投票で新しい可動堰の建設が撤廃され、保存が決定された。
今の吉野川が江戸時代にできたのだろうか?

 

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