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国道と県道129号の分岐点になる。
国道は大きく右に迂回している。
県道129号はそのまま直進する。
南海道はここから県道129号を直進して
海から離れる進路を取る。
直進して水生方面に向かう。
小さな峠越えの道である。
右手の小さな山は高さ66メートル。
名前がない。
このそばを通って、高速道路をくぐると中山である。
建設会社のリサイクル場という看板が左手に見える
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山間の道になる。
駅家「松本駅」方面への道に迷わないようにやや緊張して運転する。
さぬき市という道標がある。
「松本駅」は地名でいうと大川町の富田中にあるとあるが、石仏あたりかと推測しているがいまどこにいるか分からない。
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大国木を通る。
右手に崖を見ながら通る。
ここては 地図を見ると 阿条谷あたり。
津田川を渡る。
この辺りは坂下というところらしい。
小さな橋を渡る。
富田中 石仏あたりになる。
そのまま、富田中の中心街を通る。
「松本駅」はどこか手がかりがつかめない。
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ドライブインのマスターに
この辺に奈良時代の駅家があったということだが
知らないかと聞いてみた。
すると 兄が出てきて、香川県の歴史に載っていないかというので厚い本を持ってきたりしてくれた。
本にのっていた写真を見せると、
あ、これは「いぼ神さま」だ
といって道順を教えてくれた。
食事を終え、出ようとするとマスターが近くに笠仏(かさぼとけ)というのがあるから案内するという、子どもの頃から遊んでいるが、なんでもとても古いものらしく、学校の先生がよく調べに来るという。
ひょっとして立石かもと思い、案内してもらう。
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歩いて2,3分のところにそれはあった。
住宅地の間の空き地に 屋根をかぶっていた。
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屋根の下をみると1メートルくらいの台座の上に2メートル近い石の八角形の柱があり、その上に円錐形の笠のようなものがかぶっている。
笠仏といわれる理由がその形状にあった。
案内板には 名称「筒野の石幢」とある。
八面とも種字、偈などが刻まれているが、摩滅がはなはだしく判読しがたいが、銘文より、造立は鎌倉中期の文永七年(1270)となっている、
http://ew.sanuki.ne.jp/bunka33/kasabotoke.htm
残念ながら立石ではなかったが、鎌倉中期にこのようなものが建立されたところは、街道があったということなのだろうか?
マスターはこの前の通りは昔からの道であるという。長尾街道といっていた。
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