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マスターと別れ、「松本駅」をめざす。
今来た道を少し戻って川を渡り、その土手沿いに左に行くと田んぼの中にみえてくるという。教わった通りに行く。
500メートルばかり戻り、橋を渡る。爛(ただれ)川というらしい。
イボ神様近くの川の名にふさわしい。
いぼ神様というのはなんでも
そこの井戸の水をイボにつけると
イボがなくなるというのだ。
いろんな信心があるものだと感心する。
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すぐ左折、川沿いの道をしばらくいって、右手の田んぼの中にやっと、「松本駅」を見つける。
駅家の立地の条件として、直線道路のそば、井戸があるなどからみれば、このイボ神様も実は駅家の跡かもしれない。駅家が使われなくなってずっと後に、そのような伝説が生まれ、祀られたものと想像できる。各地に残る長者伝説と同じである。
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案内板をみると正確な名称は 「下り松の弁天さん」なのだそうだ。
中世のころは沼地もある湿地帯だったそうで、下総からきた始祖が寺を建てたとある。
昭和10年と50年に発掘調査が行われ、奈良時代の瓦が発掘された。「下り松廃寺」を言われている。南海道の「松本の駅」と推定されている。
とある。
駅家前の直線路が南海道だったのか?
ここからどのように南海道が通っていたのだろうか?
写真の手前はすぐ 爛れ川の土手に突き当たる。
そのまま直線を引くと、丁度県道の直線部に重なる。
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大川町富田西を西へ。
ここもまっすぐな直線道路である。
やっと讃岐平野に入り、直線路が多くなる。
南海道はこの道を通ったとされている、
条理余剰帯も確認されている。
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車はずっと、ほとんど真西に進路をとっている。
右手前方に 三角形の端麗な小山が見えてくる。
地図で調べると、金山。標高109メートル。
どこまでも続くまっすぐな道。
古代の道幅が9メートルくらいとすると大体今の同じ道幅である。
奈良時代からずっとこの道が維持されてきたことになるのだろうか?
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